History
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創業
龍生堂という名前は、当時販売していた「龍生散」という胃腸薬と、商売繁盛につながる「隆盛」に願をかけてつけられました。しかし、開業して間もなく勃発した日中戦争の影響で統制を強いられ、医薬品不足が続きました。その後、1945年(昭和20年)の終戦を迎え、日本に自由主義経済の幕開けが訪れます。その時に医薬品安定供給のため、卸業もはじめことが現在の龍生堂の原点となっています。
20周年
1960年(昭和35年)、株式会社龍生堂本店と社名を変更し、日本の経済成長とともに徐々に拡大をしていきます。そんな時、池袋にあった小売薬局店が医薬品を規格外に安く売る「安売り事件」が起こったのです。品質を下げずに、いかに医薬品を安く売るかというディスカウント時代の到来。龍生堂でも検討に検討を重ね、意を決してディスカウントへ参入しました。
30周年
東京ではオリンピックを控え、高速道路や新幹線の整備など、大型公共工事に躍起になっていた頃の日本経済は、高度成長期の入り口に立っていました。そんな消費者動向の変化をつかみ、小売業の可能性を感じて「スーパー龍生堂」をオープン。スーパーという名前でしたが、実質は今のドラッグストアと同じ業態です。ここから今のドラッグストア併設型の調剤薬局へとつながっていきます。
40周年
この頃から龍生堂は、大型ドラッグストアへの挑戦をはじめます。それと同時にドラッグストアに調剤室を併設するという新しい試みも開始しました。当時のドラッグストアは、処方調剤をほとんど行わないという状況。ですが、そのころアメリカの調剤室併設型のドラッグストアを見学した時、現地の住民がそのような店を必要としている姿を見た関口信行は、必ず日本でも主流なると確信し、舵をきったのです。
50周年
50周年を記念した本部ビルの建設も無事に終了。半世紀にわたり、様々なことを考え、悩み、調剤併設店舗を中心に面分業への展開を行っていきます。ここからの10年間で7店舗を次々とオープンさせ、小売中心だった店舗でも処方箋の受付をはじめました。必要な場所で、必要な店舗をつくり、地域住民へ貢献していきます。
60周年
平成を迎えたころから、龍生堂に小売だけをする店舗はなくなっていき、すべての店舗で調剤を行っていきます。調剤併設型の大型ドラッグストアをつくる時も一番目立つ場所に調剤室を設置し、調剤がきちんとできることを伝える店づくりを試みます。より、地域に寄り添った理想の形。つまりは、今の龍生堂の形に近づいていくのです。
70周年
調剤システムのオンライン化を進め、店舗間情報の共有が可能になりました。地域密着型のため、医薬品の在庫にはかなりの品数が必要となり、オンライン化するまではその場でご用意できない場合もあったのです。しかし、各店舗に連動した在庫管理システムを使うことで、患者様をお待たせすることなく、薬を届けられるようになり、より患者様本位の薬局へと成長することができました。
80周年
地域の方に寄り添った店舗設計を行い、理想の形になった龍生堂。現在は、店舗を飛び出し、在宅医療の領域へ力を入れています。いつでもそこにあったのは「どうすれば、患者様やお客様に満足していただけるのだろう」という気持ち。その想いは、創業当時から脈々と受け継がれています。
90周年
企業理念である「地域医療に貢献し、全ての人の期待に応える」を実現する為に少子・超高齢化社会への対応、経営環境の変化、新制度への対応、新しい社会的機能の確立など多くの課題に直面する中でも、常に地域及び生活者の安全・安心な暮らしを守る役割を担っていることを第一に考え、積極的な地域貢献・ケアにより地域および生活に欠かせない役割と機能を持った店舗づくりを行っていきます。
~これからも、その先へ~
Presidents
龍生堂 歴代社長
株式会社龍生堂本店
初代 代表取締役社長
関口 健吉
株式会社龍生堂本店
二代目 代表取締役社長
関口 信行
株式会社龍生堂本店
三代目 代表取締役社長
関口 周吉